☆ その他 ☆

能子おばあちゃんもミヨおばあちゃんも、子育てに役立つ事を沢山教えてくれました。 このページには子育てに役立った事・話し方・遊びに行ったりランチをした所等々を書きました。 母さんが住んでいた町や、あなた達と暮らした町も紹介して有るわよ。


タイトルをクリックしてみてね

【 能子おばあちゃんの教え 】
 過干渉はダメよ   いま忙しいは考えて   20数えてから叱って 

【 ミヨおばあちゃんの教え 】
 窓に霧吹き   新聞紙の海   ミヨおばあちゃんの苫小牧西小学校 

【 遊びに行ったの 】
 えこりん村 2011 

【 話し方教室 】
 最後の言葉が大事よ   頂きますは便利 

【 子供と勉強 】
 二人の原始人 

【 子育てに役立つかな 】
 ほめて育てる 

【 母さんやあなた達が住んでいた所よ 】
 浦河町   日高門別町   中標津町   登別市幌別町 
 室蘭市御崎町   登別市若草町   函館市 




【能子おばあちゃんの教え】


能子おばあちゃんは真面目で努力家でした。生まれたのは台湾の台南と言っていました。 でも、れっきとした日本人ですよ。 80歳で大正琴の師範免除も取りました

◆ 過干渉はダメよ ◆


子供の前に行ってはダメよ。斜め後ろから、そっとついて行きなさい。 そして、子供が振り返った時に必ず見える所にいなさい。 あ〜前に行きたいと思う心を抑えるのは大変なのよ。

★ これはね、過干渉はいけないと教えてくれたのね。
  母さんは守れずに、ちょくちょく娘達の前で待っていたわ・・・ダメね〜


◆ いま忙しいは考えて ◆


madokaが、お人形遊びをしている時に「お母さ〜ん」って呼ぶのよ。母さんは、晩ご飯の支度の真っ最中なので 「母さん忙しいので、後でしてあげるね〜」と言うと、おばあちゃんがね、「あらmadokaちゃん、今日は凄〜い ご馳走よ。1分も時間が取れないのだから、楽しみね〜」って・・・背中で聞いている私は冷や汗ものでした。

★ なるほど・・・1分・10分ご飯が遅れたって大した事じゃないものね。
  なんで、こんな事がわからなかったのかしら・・・ダメな母さん
  でも、それからは努力しました。


◆ 20数えてから叱って ◆


子供を叱る時には20数えてから叱りなさい。
その間、本当に叱らなければならない事か考えなさい。

★ そうよね・・結構感情で叱る事も有るものね〜
  20数えると感情では怒らないですむものね。


【 ミヨおばあちゃんの教え 】


ミヨおばあちゃんは器用な人で、自分流で色々作ります
子育てはおおらかです


◆ 窓に霧吹き ◆


おばあちゃんがアイロン掛けを終えた頃に、娘達が真冬の凍りついた窓に霧吹きでシュシュシュと霧を かけ始めたので、母さんが窓が開かなくなるので止めなさいと言うと、おばあちゃんがね・・・ 「そんなに気になるなら雑巾持ってせっせと拭いたら?」って・・・


★ なるほど・・・そうすりゃ凍りつかないか〜
  母さんは頭悪いな〜


◆ 新聞紙の海 ◆


幼稚園で覚えて来たらしく、茶の間中いっぱいのグチャグチャにした新聞紙の海で、二人で楽しそうに泳いで遊んでいたのよ。 ちょうど、晩ご飯の支度が出来たので、「大きな袋に入れて片付けちゃいなさいね」と言うと、おばあちゃんがね「ほらほら、 テーブルの上のを除けちゃうと食べられるよ。じーちゃんのはあっちの部屋に持って行ったらいいんじゃない?」って・・・


★ なるよど・・・そうすりゃ食べられるか〜
  遠足なんて草の上だしね・・・
  そのお陰で母さんは、おおらかに娘達を育てる事が出来ました。


 ◆ ミヨおばあちゃんの苫小牧西小学校 ◆

ミヨおばあちゃんは、北海道の苫小牧に住んでいました。 おばあちゃんの家は半農半漁で 食べ物の豊富な家でしたが、小さな時から家の手伝いを沢山させられたそうです。 『私の人生は「おしん」と同じで大変だった〜』と言っています。

おばあちゃんの小学校は、とてもスポーツが盛んで、スケートはアイスホッケーもスピードスケートも 有ったんだってよ。王子製紙のリンクで滑ったと言っています。昭和4年生まれでも、知り合いのスケート選手から 頂いた今と同じようなスケート靴を履いていたそうよ。母さんの時代でも、ゴム長にバンドで付けるスケート だったのよ。

マラソン・短距離走・走り幅跳び・棒高跳び・ハンマー投げ等々、今の小学校でもしていない事を したみたいよ。 おばあちゃんは、いつも1等賞だったと自慢しています。 でも、水泳は漁師さんの子供なのに泳げなかったそうよ。王子製紙の立派なプール迄行っての、水泳学習だったのに 勿体なかったね。ドッジボールは大嫌いだったとも言っています。


【 遊びに行ったの 】


遊びに行って面白かった所や美味しいランチを食べた所・珍しい物を見つけた場所を教えちゃいます


◆ えこりん村 ◆(2011)



≪えこりん村 2011.8.20≫

娘とランチがてら訪れた恵庭のえこりん村は、想像していたのとは違い素敵な所でした。 お昼頃に出掛けたので時間が足りなかったわ〜。全部見て歩くには丸1日が必要ね。 ガーデニングをしている私には嬉しい物が沢山有って、来年の春には苗を買いがてら行きたいわ。

広大な敷地の中には、イギリス人のガーデンプランナーが設計した素敵なガーデンが沢山有って、 敷石もオブジェも変わっていて飽きないのよね〜。とても素敵な所に連れて行ってくれた娘に感謝感謝よ。 そうそう・・・ここでランチした「びっくりドンキー」はえこりん村で採れた野菜を使っているのよ。

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【 話し方教室 】


話し方は大事よ
自分流の話し方を見つけてね

◆ 最後の言葉が大事よ ◆


母さんが小さい頃に・・・
女学校で英語を習ったことの有る能子おばあちゃんが、日本語の話し方を教えてくれたのよ。『英語はね、 どうしたいか・どうなるのかが最初で分かるのよ。でもね、日本語は短い話でも・長い話でも最後をきちんと 聞いていないと、好きなのか嫌いなのか・どうしたいのか・どうなるのかが、分からないのよ。』
『だからね、自分の話す、一番最後の言葉はゆっくり・はっきり話すのよ。』

★ でも・・・
  亡くなってもね、母さんの話し方の中にも、hirokoおばちゃんの話し方の中にも
  能子おばあちゃんは、ちょくちょく顔を出すわよ
  そして、私の娘達や姪っ子達の話し方の中にもね・・


◆ 頂きますは便利 ◆


尊敬語は相手をヨイショと持ち上げる言葉よ。それって力がいるし、丁寧語は語尾に「です」「ます」を 付けたり、頭に「お」「ご」を付けるので面倒よ。謙譲語は相手より自分が低くなって話す言葉で楽チンよ。 自分が座っちゃて相手を見上げて話すといのだからね。頂きますは謙譲語なので、使える場所にどんどん入れると 簡単に丁寧な話し方になるのよ。『お電話させて頂きます』・『メモを取らせて頂きます』・『持たせて頂きます』等々 『ご飯を食べさせて頂きます』 は 『頂きまーす』 に省略されて小さい子も使うわね。 どんどん使うと、どんな人とでも物おじせずに話せるわよ

★ 母さんは頂きますが上手よ
  だからどんなに偉い人とでも話が出来るかもね・・・

【 子供と勉強 】


子供は賢い・・・
自分が楽出来るものには興味深々よ

◆ 二人の原始人 ◆


あなた達が勉強をしたくなーい。どうしてしなきゃいけないの?と言った時に 話してあげた母さんの作ったお話よ

それでは始まり始まり

昔々、原始人が、狩りをしたり草や木の実を食べて暮らしていました。ある時狩りをして帰ったら、 体にくっついて来て地面に落ちたタネが、春になり芽を出して何やら美味しそうな物が生えて来ました。 同じころに・・ちょっと離れた所に住んでいた原始人のところにも、くっついて来たタネが地面に落ちて、 美味しそうな物が生えて来ました。葉っぱを引っ張って抜いてみると真っ白な大根でした。ガブリとかじってみたら、 とても美味しかったので大変喜びました。

もう一人も葉っぱを引っ張って抜いてみるとオレンジ色の物が出て来ました。ニンジンだったのよ。 ガブリとかじってみたら、とても美味しかったので大変喜びました。

つぎの年、家の周りには・・・ またまた落ちたタネから、10本の大根が生えて来ました。もちろんもう一人の所も10本のニンジンが 生えて来たのよ。遠くに離れていたけれど、オレンジ色のニンジンを美味しそうにムシャムシャ食べているのが見て、 またもう一人も、真っ白な大根を美味しそうにガブリとかじっているのを見て、お互いに「食べてみたいな〜」 と思ったのよ

二人はね・・・まだ言葉も数も知らなかったの。 お互い1本ずつ大根とニンジンを持って走りました。ちょうど中ほどで、会うと身振り手振りで頑張って 腕を伸ばして大根とニンジンをカチンと合わせて無事に1本ずつの交換は出来ました。 でもね・・・次の年には、もっと沢山のニンジンと大根が採れたのよ。何度も何度も走って行って、 大根とニンジンを1本ずつ交換したら・・とても疲れちゃったの。沢山交換すると大変よね。

また次の年には、もっともっと沢山採れたので、一生懸命、楽ちん出来る方法を考えました 身振り手振りで大根とニンジンを、10本ずつ交換したりしたけれど、とても重たかったので、 大根の代わりに小石をニンジンの代わりに、小枝を持って行ったのよ。まとめて交換しようとしたのね。 その内に、小枝10本を、ちょっと太い枝1本にしたり、小石10個を、ちょっと大きい石1個にすることを、 やはり身振り手振りで決めたのよ。

そうこうしている内に、身振り手振りが不便って気が付いたのよ。それで言葉が出来たのね。 きっと、小石も小枝も重たくなったので数字もできたのよ。面倒くさいな〜から便利な物が出来てくるのね。 原始人さんも真面目で体力一杯だったら、まだ1本ずつ交換しているでしょうね。

★  身振り手振りが得意で、何も不便を感じないなら勉強は必要ないわね。
   でも、それだけで生きて行くのは大変よ。 最低限の勉強は必要かもね。

   面倒くさがり屋さんがいっぱいだったから文明が発達したのよね〜
   そうそう・・面倒くさいな〜と・不便だな〜と思った時はチャンスかもね
   何か新しい方法を思いついたり、便利なものを発明するかもよ・・・

【 子育てに役立つかな 】


子供は可愛い・・自分の命より大切なものよ。
親や友人から教えて貰った事やや自分で勉強した事を書いてみました

◆ ほめて育てる ◆


子供はね・・・
ほめて育てるのが一番よ
誰だって褒められるのは嬉しいよね
沢山・沢山・・・褒めてあげてね
きっと自信につながると思うわ

★ 母さんも沢山ほめたけれど
  テストの点数が良かった時の褒め方は少し足りなかったみたいね
  うつみみどりさんのお母様のようにお赤飯炊くぐらい褒めれば良かったわ



【 母さんやあなた達が住んでいた所よ 】


◆ 浦河町 ◆


日高管内の浦河町は、母さんの両親が結婚した場所です。若かったおじいちゃんの自転車の 後ろに、若かったおばあちゃんが横座りして乗って、おばあちゃんの勤めていた配電会社に 毎日送って行ったそうです。おばあちゃんは若かった頃は、とても美人だったので、ある日 おじいちゃんの役所の上司に「自転車の後ろに乗っている妹さんを、お嫁に欲しいと言っている人 がいるので、どうだろうか?」と言われた事が有ったと、おじいちゃんは自慢気に話していました。

ここに住んでいた記憶は、小さい時だったので母さんには有りません。 でも、おばあちゃんが よく話してくれていました。 タマと言う名前の猫を飼っていた事・家の前にとても小さな小川が 有った事・結婚した時はお舅さんもお姑さんも一緒に住んでいた事・水道が家に無くて共同水道に おじいちゃんが、天秤棒をかついで汲みに行った事など。そしてね、母さんが生まれる前に 買い物かごを抱えて漁港に行くと、美人だったおばあちゃんに、船の上からポーンポーンと魚を放り 投げてくれた事は、おばあちゃんの自慢話でした。


◆ 日高門別町 ◆


猫のタマは引っ越してすぐに、前に住んでいた浦河の家に戻ってしまったと、浦河のご近所さんから 手紙を頂いたそうです。日高門別町は、浦河より小さな町でした。あの頃から馬の生産地だった せいか町はずれには馬の競り市が有りました。水道は有ったけれど、水を貯めておく水桶が有ったし 冷蔵庫・洗濯機・掃除機も無く、能子おばあちゃんは、たらいと洗濯板で、お洗濯をしていました。

その頃は不便と感じなかったわよ。冬になるとストーブは薪ストーブで、家は隙間風の入る木造だったのよ。 窓も木枠のガラス窓が1枚だからスースーするのよ。家族は皆ストーブの近くにいたのよ。 だから、昔の家族は自然とスキンシップが出来たのね。母さんは寒いから必ず誰かにくっついていたわ。

日高門別の海は砂浜が有り、妹とよく遊びに行ったの。妹の靴が波にさらわれて、あせっちゃた。 拾いに行っていたたら、母さんは溺れていたわね。その頃の普段履く靴は、ゴムで出来ていたのよ。 素足に履くから、水たまりでも海でも靴を履いたままでもへっちゃらなの。便利だったわよ〜

日高門別では5才年下の弟が生まれて、おんぶしてあげた事も有るのよ。 妹とは2才違いだから、生まれたのは 全然覚えていないわ。

小学1年生の時には、すごい事が起きたのよ・・・
テレビがうちについたの。町で2番目についたらしく、ご近所の方達が、午後6時にうちに沢山くるのよ。 その頃は、6時ぐらいからしかテレビが映らなくて、6時からは「月光仮面」だったと思うわ。 おじいちゃんの帰りが遅い時は大変よ。私達家族がちゃぶ台を囲んで晩ご飯を食べている後ろに、 ご近所さん達が6畳間がいっぱいになるぐらい沢山で、テレビを見に来ているの。 今思い出しても変な光景よね。

家の周りに300坪ほどの畑が有り、能子おばあちゃんが、いろいろと植えていました。自給自足よ。 馬が畑を耕しに来たり、秋には畑の真ん中でポン菓子を作ってくれるおじさんが来るのよ。干して有った トウモロコシとお米を持って行ってポン菓子にしてもらって食べたのよ。 唯一贅沢なおやつよ。 能子おばあちゃんが、畑や花畑を作っていたのを見て育ったのが、母さんのガーデニングの原点よ。
日高門別には小学3年生迄住んでいました。

◆ 中標津町 ◆


母さんが中標津に住んでいたのは、小学3年生〜中学1年生(1959〜1963)の時でした。 その頃の 中標津は根室管内では開けた町でした。 空港・雪印の工場・サケマスふ化場・パイロットファーム 等が有り、北海道地図で見てもパイロットファームは定規で直線を縦横に引いたように、道が地図上 に見えます。 教会も小さい町なのに旧教と新教の教会が有り、田舎の町にしては変わった所が有り ました。

季節になると、空にはそれまで見た事の無い大きな鳥が飛びます。タンチョウ鶴と白鳥です。とて も美しい鳥でしたので、ずーっと見ていたのを覚えています。小学6年生の時に新入生のクラスを 掃除していたら、十勝岳の噴火による大きな地震が有りました。その時、母さんは怖くてね、 能子お母さんに言われていた通りに、真面目に校庭の木につかまっていました。後でそれが 杭だったと知り、根っこの生えていない木にしがみついても無駄よと、笑われてしまいました。 地震の後、下校途中で回りがどんどん暗くなり、噴火による火山灰が降って来ました。 とても怖かったのよ〜

中標津小学校の校庭には、モグラの穴が沢山有りました。クラスメートが時々捕まえて来ていまし た。 その穴は昔からの十勝岳の噴火によるものだと、経験をして初めて知りました。中標津は、 盆地に有る町です。 町はそのせいで小高い丘に囲まれたような感じです。ですから、町の郊外な どに行く時は、小さな山を登る感じです。その上にタンポポに囲まれた小さな空港が有りました。

中標津では3回引っ越しをしました。3回目に出来たばかりの道営住宅に落ち着きました。家は 駅の裏手でしたが、丘のすぐ下に有りました。丘の上にはカトリックの教会が有り、赤いとんがり屋根 の礼拝堂と小さな幼稚園が有りました。

その家での事です。ある日ボーッと窓の外を見ていた時に、不思議な光景を見る事が出来ました。 赤いとんがり屋根の礼拝堂が家の裏に有る教会に上る道を、そろりそろりと下りて来たのです。 木に囲まれた道でしたので、赤いとんがり屋根だけが動くので、最初は何が起きたか分かりませんでした。 小さな子供達が坂を上って幼稚園に通うのが大変だったので、教会がお引越ししたのでした。

赤いとんがり屋根の礼拝堂は、偶然、家の斜め前に落ち着き、そこに新しい幼稚園も出来ましたので、 丘の上に残された土台と白い祠のマリア様と新しい教会の運動場は、母さんの遊び場になりました。 後々、イタリア人で「タマゴガヒックリカエッタ」と言うおかしな名前の黒いスカートをはいた神父様は、 母さんの親しいお友達になりました。

原野に生えるハスカップや、フレップと言う野いちごも有り、楽しむには事欠きませんでしたよ。


◆ 登別市幌別町 ◆


好美おじいちゃんの転勤で、今度は登別市の幌別町に引っ越してきました。 母さんが中学1年の時です。坂の上の中学校は木造で壁から太平洋が見えたのでビックリよ。 この町は母さんがお嫁に行くまで住んだ町です。富士鉄(新日鉄)の工場は室蘭市の輪西町に 有りましたが、その会社の社宅が沢山有りました。ずーっと向こうまで同じ形の家が並んでいて、 よく自分の家がわかるな〜と感心したものです。

中学校は12クラスも有ったのよ。1クラス50人で1学年600人よすごいでしょう。 母さんは卒業するまで見た事が無い同級生が沢山いたのよ。高校も同じ町に有りました。幌別町には海の見える所に 幌別ダムが有りました。高校はそのすぐそばでした。高校は1学年4クラスです。のどかな高校でグランドには近くの 農家から馬がよく遊びにきていました。

母さんの高校時代はベトナム戦争の真っただ中で、学校祭もアメリカのジョーンバエズやブラザーズフォー それにピーター・ポール&マリーの反戦歌のフォークソングだらけでした。そうそう学校祭で初めてファンタを 飲みました。コーラやファンタはこの時代に流行り始めたのかしらね。こんなに美味しい飲み物が世の中に 有ったのかとビックリしました。母さんが田舎者だったからかしら。

高校を卒業して室蘭市母恋町の日本製鋼所に勤めました。この会社で父さんと会って結婚したのよ。 でも、まだまだ先の事です。成人式も振袖を着てこの町の公民館でした。車の免許も取りました。 この頃から能子おばあちゃんがちょくちょく病気をするようになりました。でも、まだまだ頼りになる 両親です。母さんが結婚すると、おじいちゃんが役所を定年退職して実家は札幌になりました。

◆ 室蘭市御崎町 ◆


室蘭市御崎町は母さんが結婚をして住んだ町です。この町には日本製鋼所の沢山の社宅が有り、 社宅はずれの小さなアパートで父さんと暮らし始めました。小さなアパートでしたが小さな畑も有り、 とても楽しく暮らせました。madokaはここで生れました。若い人の多いアパートでしたので、小さな子や 赤ちゃんが沢山いて、育児の情報交換に恵まれました。

ayakaが母さんのお腹にいる頃に近くの広い大きなアパートに引っ越しをしました。そこにも子供達が 沢山いてmadokaは沢山遊んで貰いました。児童館もそばに有ったのよ。ayakaはこのアパートで生れました。 室蘭は母さんの大好きな海が沢山有りました。能子おばあちゃんの実家のそばにの電信浜には ガラス石が沢山有り、あなた達は拾って宝物にしていました。潮が引く時は、小さな蟹を採りに連れて行ったのよ。 地球岬・トッカリショウ・イタンキ浜も太平洋に面したとても美しい海でした。

◆ 登別市若草町 ◆


この町は、室蘭市と登別市の堺に有る町で住宅街として新しく出来た町でした。madokaが幼稚園に入る頃に、 お父さんのおばあちゃんとおじいちゃんの住んでいる家に、二階を作り引っ越して来ました。二人が通った 若草幼稚園には泥んこ池が有り、子供達が泥だらけになるとホースでシャワーのように水をかけてくれ、水浴びを した子供達は大はしゃぎでした。ノンビリした幼稚園でした。毎日送り迎えをしなくてはならない幼稚園でしたので、 お姉ちゃんを幼稚園に送りに行く時は、おにぎりを作ってayakaも一緒に行き、お姉ちゃんを送った帰りは、 ayakaの行きたい方向にのんびり散歩をするのが日課でした。それがお昼になるまで遊んだり散歩をしたりした時は、 通りががりの公園でおにぎりを食べるようにしていました。母さんは専業主婦でしたので、そう出来たのね。


◆ 函館市 ◆


函館に転勤して来たのは、あなた達が小学2年生・小学5年生の時でした。2年間の転勤で住む事になった函館も、 もう20年を過ぎました。最初の家は電車通りと五稜郭の間に有りましたので、珍しさも有り冬だと言うのに毎日 あなた達を連れて五稜郭に行っていました。函館山にも沢山上ったのよ。あの頃は、給食パンの残りを持ち帰らせ てくれたので、五稜郭の鯉とハトに沢山の餌をあげることができました。母さんも2年ぐらいは、ガイドブックを 片手に観光よ。四角い電信柱や赤いお墓を探したり楽しい毎日でしたよ。函館に来てから9年間が過ぎた頃、 登別のおじいちゃんが肺炎になり、函館で一緒に暮らす事になり、新しい家にに引っ越しをしました。たった2年間 のつもりが、今現在23年目になり、母さんが一番長く住んだ町になりました。 元号が令和に変り 函館に住んで30年近くになりました。 家は東山に2丁目に有ります。 ここに連れて来た うしのすけは亡くなり、今はしーちゃんと言う可愛い雌猫と一緒です。良雄おじいちゃんもミヨおばあちゃんも 能子おばあちゃんも亡くなり今はイワさんとしーちゃんの二人一匹暮らしです。 孫が出来ました可愛いのよ。 



◆ パソコンあれこれ・・・ ◆


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◆◇ 拡張子 ◇◆
拡張子  ・・・・・・・パソコンに”これは画像のファイルですよー。”ということを教えてあげる魔法の文字です。

.jpg  ・・・・・・・・画像のファイル。一般的に使う画像です。写真など。
.gif  ・・・・・・・・画像のファイル。背景を透明にできる画像です。
.png  ・・・・・・・・画像のファイル。画質を落としたくない画像に使用します。
画像形式の違い

.css  ・・・・・・・・CSSファイル。たまにプログラムで使っています。
.html  ・・・・・・・HTMLファイル。プログラムの書いてるファイルです。

.doc  ・・・・・・・・Wordのファイル。Office2007以降だと”.docx”になります。
.txt  ・・・・・・・・テキストファイル。
.xls  ・・・・・・・・エクセルファイル。Office2007以降だと”.xlsx”になります。



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